先日、内閣を改造した。
初入閣が11人で、留任6人、再任2人とのこと。
こんなに新人を多く入れて
省庁がまわせるのか??
とか思ってしまう。
もう少ししたら自民党の総裁選だから
そこまでの売名行為だろうか。
1〜2ヶ月でも大臣をやればハクが付く。
留任はしなくても、チャンスがあれば再任になる。
大臣を経験すれば地元も湧く。
そもそもこの時期に内閣改造は、何のためだったのだろうか?停滞していたものを動かすとか、そんな感じでもないんだけど。
この質問と、ちょっと前に書いたマズローの欲求の話をくっ付けると。
生活のためと答えた人々は「社会的欲求」のレベルなのか、と思ってしまう。人によっては切実に「生理的欲求」のレベルを満たすために仕事をしている可能性もある。
名誉のためと答えた人々は「承認欲求」のレベルの人々なんだろうと推察される。
テレビでこんなインタビューをしていた。何やら発明した小学生の少年に、将来何をしたいかの質問をして、その少年の答えは
「世の中の役に立ちたいです。そしてノーベル賞を取りたいです」と。
前者は「自己実現の欲求」で後者は「承認欲求」で、この少年が後者を強く願っているのであれば、やはり人間は煩悩を捨てきれない生物だなぁ、と痛感するしかない。
人々は自己実現を越え、自己超越のレベルに達するのだろうか?
それを考えると、募金だのボランティアだのって、自己超越ではなくて、村八分にならないようにするだけの、単なる「社会的欲求」なのかもしれない。
表題のこの質問をしたら、どんな答えが返ってくるだろうか?
生活のため
これが一番多いような気がする。
名誉のため
そんな人もいるかとおもう。
何となく
と言う人もいるだろう。
工場などの現場で質問したらどうなるだろうか?
「やれと言われたから仕事をしてるんだよ」
そんな感じで、直接の作業についての答えが返ってくるかもしれない。
原理を解明するために仕事をするんだ。
客先の要望でその仕事をしている。
市場が求めているから仕事をするんだ。
世の中が、オレにそれを期待しているから仕事をしているんだ。
そんな答えを聞いたら、聞いた方も嬉しくなるだろうし、
本人の対価に対しても考え方が変わると思う。
先日書いたことを思い出して、
貢献とかそんな大それたことではなくて
もっと簡単に、身近に感じる言葉にならないかな
とか思いまして。
今やってることって
誰の役に立ってますか?
それが終わったあと、その誰かから
ありがとうって笑顔で言われてますか?
これは個人的な、かなり狭い領域での貢献だが、これが積もり積もって世の中への貢献になるんだと思う。
誰かの役に立つとか、為になると
やっている間や終わった後に達成感ってないですか?
サラリー(給料)より、この達成感をモチベーションにして生きていきたいですね。
ロシアとウクライナが衝突したのが2022年2月だから約1年半になる。
気になることと言えば、私設軍隊のワグネルが解散したこと。それに今週になってウクライナ産の農作物の輸出の取り決めの破棄。
ロシアは何をしようとしているのか??
ワグネルのプリゴジンが反乱を興したのならば、プーチンは即刻暗殺・処刑しただろう。しかし様子は違う。明らかにかばっていた。ベラルーシに行ってルカシェンコ大統領に会ったとか、電話をしたとか。その後はイマイチ行方不明。
明らかに自作自演の雰囲気がする。
長引く戦争を少し小規模にしようとしたのだろうか。
今週の農作物の協定の破棄。120日ごとに協議し更新らしい。3ヶ月くらい経つとどうするか協議を始めて、4ヶ月目までに更新手続きをする。
ロシア産の輸出が履行されていないのでその対抗措置とのこと。そんな正面切っての交渉なんてする??
仲介に入っているトルコと国連に、終結に向けての交渉を委ねたのではないだろうか?
当然西側もそんなことは分っている。交渉したい素振りなんか見せられない。
国によっては戦争で利益を出してうまい汁を吸っているのもある。世論が侵攻前に戻すことを強く思っているので、それを盾にほくそ笑んでいる。
自国民は痛くも痒くもないんだから。
とにかく交渉。
お互い兵を引く。
領土の話は今後の協議。
正論をぶち当てれば西側諸民は気持ち良いが、儲けてる所は正論で終結して欲しくない。もちろんロシアや中国を主体とした共産国家は面白くない。
民間人の犠牲を気にしている多くの人は、やめさせることに注力できるのか?それとも正論を突き通して勝ちを狙いに行って長引かせたいのか?
本当の正義はどこにあるのか?
私は戦争を終わりにする妥協策を見つけて欲しいと思うのだが。
トランスジェンダーの元男性が女性用トイレを使用できないことで訴えた件で、司法は違法とし原告が最高裁で勝利した。
そもそもトイレは同性同士で行くのならばOKなのだろうか?
無防備に近い状態で男性から襲われるのを避けるために女性用のトイレがあるのだろうか?
綺麗に着飾っていても排泄は生命を維持するために必要で、異性にその状態を見られるのが恥ずかしいから分けるのか?
現実では同性でも局部は見えないように用を足しているわけだし、
同性同士でも恥ずかしいのは個々の考え方次第だと思う。
無理して見てはいけないし、見せてもいけない。見えるような状態を作るのもいけないんだろうと思う。
入浴は?
更衣室は?
様々な場で性別による区分けがされているが、同性同士ならOKと言うのは、いつから始まった暗黙の了解なのだろうか?
スポーツもほぼ性別で別れている。
体格や筋力の差で分けるのであれば、柔道やボクシングの体重でクラスを分けるような感じにすればもっとフェアになるような気もする。
で、トイレや入浴は?
他人に見せるものではないので、やはり個の問題ではないだろうか?
性で分けるのではなく、個で分ければ、実情により近づくような気がする。
有名な5つの欲求の階層。
生理的欲求
安全の欲求
社会的欲求
承認欲求
自己実現の欲求
欲求が満たされると、人は次の欲求を求めるようになると言うもの。
【生理的欲求】
食事も出来ない、排泄も睡眠も出来ない状況は、今の日本にはあまり無いのかもしれない。多くの日本人はここは満たされている。
【安全の欲求】
いきなり刺されるとか、撃たれるとか、爆発するとか、ニュースで時たま聞くが、何パーセントかの確率を除き、比較的安全に生活出来るのが、今の日本ではなかろうか。
しかし直接的ではなくても、比較的身近に事件や事故があると、時々強く感じるのがこの欲求だろう。
【社会的欲求】
社会で生活するには、どこかに所属する必要性が出てくる。生活費を稼がないと生きて行けないし、教育を受けるにも学校に入らないと行けない。住むとなったら地域にも属さないと行けないし、誰も一人で生きて行くことは出来ない。
卒業進学の時季は、ここでストレスを感じる人は多いだろう。
どこにも属せない人、属するのが苦手な人はどうなるだろうか。非正規の問題はこのあたりにも絡んでくる様な気がする。通り魔的と言うか、今は無差別事件と言うのか、そう言った事件を起こすのも背景には社会へうまく入って行けなかった人が起因になっているような気がする。
【承認欲求】
さて、うまく属すことが出来ると、次は認められたくなるらしい。昇給や昇格、それに表彰なんかは、それを満たすために考えた方策なんだろうと思う。認めて貰えない、で、組織に不信感を抱く、組織から離れる、すると1つ下の段階へ戻る。
この承認はプライドをうまく操り・操られることで感情が起伏し安定するとかしないとか、そう言った領域な気がする。
ここへの欲求が強く出ているのが、今の日本なのかな、と思ったりもする。隣の席の何もしないオヤジよりはるかに仕事をしているのに給料は少ない。認められてないと思うところなんだと思う。
【自己実現の欲求】
そこまで欲求が満たされると、次は、私は世の中でこんな役に立ちたい、とか思うようになり、自己実現に向けて突き進むようになる。この領域に安定して居られるのは、それなりに社会的地位のある人のような気がする。数パーセントなのか、なぁ。
【さらなる欲求】
その上に第6段階があるらしい。自己超越欲求と言うらしく、いわゆる奉仕の精神が出てくるらしい。自己実現が叶うと、他の人達にも幸せな、満たされた状態を感じてもらいたくなるのだろうか。ボランティアをしたり、寄付をしたり、無償で自分自身の一部を活用して貰いたくなる。
しかし、こう言った欲求の段階があるとしたら、いきなり最上位の欲求を求めても、行動できる人は限られてくるし、形式上やってるだけで心底行動していることは少ないのだと分かる。
欲求の段階はその時々で変わってくる。事件や事故は起こるし、進学や転勤や引っ越しもある。今年はうまくいって周囲の評価が高い時もあるし、やりたいと思っていた趣味や仕事が成就する時もある。そして、また逆の時もある。
行ったり来たりしながら、常に何らかの欲求を抱いているんだと言うことになる。
さて、今の私はどのあたりを行ったり来たりしているのだろうか。。