男と女とオスとメス

先日の報道で、転換手術をしていなくても戸籍上の性を変えることができるとの裁判結果をみた。

そもそも 戸籍上で男とか女とか分けるのは一体何なのだろうか。

生物は大抵の場合、オスとメスがあって交尾をしながら種族を残していく。人類も例外なく生物である。そのおかげを持って、 現在地球上には60億、70億とも言われる人間が生存、繁栄している。

聖徳太子の時代から、住民の把握は行われていて、全個体の完全なる登録は悲願だったのだろう。どこそこのオスにどこそこのメスを掛け合わせろ。家系を絶やさず、また勢力的に優位に立つには、この過程が重要で、それには戸籍が非常に役立つ。そうなると戸籍はオスとメスに分けるのは、自然の成り行きだろう。

オスの生殖機能を有している者とメスのそれを把握し、どのような進化を人類として辿っているかの軌跡を取っておく。ある意味、重要なことなのかとも思う。

ここで今回の主張に戻ると、オスの生殖機能は有しているものの、その生殖機能を使う気がない、もしくはすでに意図的に失っている者はどう分類すべきなのか、と言うことなのだろう。

手術によって失っている者は戸籍上はメスとして登録する。分からなくもないが、メスではないだろう。仮にオスを主とすると、オスではないのだから、オス以外となるとメスだ。そんな論理なのだろうか。

メスのマネをとことんしている。なのでメスとして登録してくれ。まあ、とことんしたのだから、理解してみようか、とも思う。

しかし、

使う気がないと言う者は、使う気が出てきたらオスになるけど、本人は使う気がないと言い張っている。これをオスじゃないのでメスにする、と言うのは、ちょっと横暴なような気がする。

判決の論理はどうだったのだろうか。