ダーウィンの進化論

よく聞く話。

これは単に受け売りだが、いい話なので記録しておきたい。

今までの歴史の中で、様々な生物が進化しては滅亡し、それを繰り返して来た。

強いものが食物連鎖の中で頂点に立ち、弱者である小さくて非力なものが食い尽くされて滅亡する。そんなこともあるにはあるが、実際には強くても大きくても滅亡した過去はいくらでもある。

では何で生き残れなかったのだろうか?

環境に対応出来なかったからと言うのだ。

環境に合わせて進化出来なかった。

なので衰退し消え失せた。

生活をするにも、我々は社会の中で生きているわけだから、時には環境に合わせなければならない時も出てくる。

法律の改正やら

経済状況の変化やら

流行りなんかもどんどん変わる。

その中で順応とか適応とかできたものが、それほど苦もなく生きていられる。逆に言えば、それに抗えば、生きるのが苦しい。

その時々で自分自身を変化させて、世の中に順応していくと、免疫力が付き、さらに次の変化にも対応できるようになる。

それがダーウィンの進化論から学ぶ我々の生き方らしい。

替えがきく人、きかない人

例えばの話

大谷翔平の替わりができる人ってどのくらいいるだろうか?

藤井聡太の替わりが務まる人ってどのくらいいるだろうか?

逆に、この仕事は誰でもできるよねって言うのとか、

まぁ2〜3日講習とか受ければできるようになるよね、

って言うのはどのくらいあるだろうか?

こんな極端な場合だけでなく、

身の回りを考えてみて、

この人の替わりは私には出来ないかな、とか

この仕事はアルバイトでも良いんじゃないの? とか

そんなことを考えたことはあるだろうか。

誰でも出来るとなると急激に価値が下がり、替わりがきかない人になって来ると価値が倍々と増えていく。

それは資格うんぬんの専門性だけの話ではなくて、

理解力とか協調性とか表現力とか

統率力とか指導力とか

行動力とか

様々なところで個性が出て、価値が決まって来る。

その他大勢からちょっと飛び出すと

市場価値は格段に上昇するのだが

それが出来ずに埋もれて、価値が認められないと嘆く。その嘆きは単に愚痴でしかない。

村上ファンド

ニュースでも良く出てくる当該ファンド。

短期間で成果を上げるために色々要求するとして、しばしば会社と対立する、あれですね。

会社としては、もう少し長期で考えたくて、

さらに利益をガンガン出すより

世の中への貢献だったり

自分たちの技術の市場への浸透だったり

そんなビジョンを掲げながら経営しているんだろうけど、投資家目線で行けば、さっさと利益が出れば確定させてしまいたいとか思い

まぁ、そんなのもあって対立するわけです。

ところで、会社によって呼び方は異なるとは思いますが、経営企画とか経理とか、村上ファンドに近かったりしませんか??

こう言ったファンドとやり合うためには自分たちも内部を戒めて、アセットバリューを高めておかないといけないんでしょうが

もしそこに、儲かるか儲からないか、の論理しかないなら、そこはもはや村上ファンドの世界。

将来どんな世の中を築くのかを語り合えたら、グッと距離が縮まるんだろうな。

まぁ、金転がしの方に向かって距離を縮めるなら

カジノでもやった方がスリリングで話も合うかもね??

DX

デジタル化って

使いやすくするとか、

処理を早くするとか、

楽にするとか、

ミスが無くなるとか、

そう言ったことを推進するためにやるんじゃないの??

ユーザーの使い勝手を追求した結果のDXじゃなくて、

管理したいがためのDXだと

反発もあるよね。

そのうち、どこぞの国のように

IDカードを持ち歩かないと逮捕とか、

電子マネーと紐付けて1円でも見逃さず税金かけたり、

カードと紐付けてGPSであたかも犯罪者のように行動を監視したり、

徴兵逃れを追跡したり、

番号で家系図を形成して九族に至るまで誅殺されるとか、

そんなことあり得ないと思っても

役人は本気かもしれない。

国は何のためにあるのだろうか?

良くなる方向に向いて欲しいですよね。

最近のマイナ保険証で、そんなこと思いました。

マイナ保険証で、ユーザーメリットは何かな??

トップの使命

世の中には色々な組織があり、そこに必ずリーダーが存在する。

大会社だと分かりにくいかもしれないが、中小や家族経営の会社の場合、リーダーである社長が色々やりたいことを掲げて金策し事業を始める。

やりたい事が大き過ぎて一人では出来ないので家族に仲間に入ってもらったり、アルバイトを雇って手助けしてもらったりする。

ここで、もし社長にやる気が無かったらどうなるだろうか。逆にもしアルバイトが共感しなくて辞めたらどうなるだろうか。

前者なら事業は終わるだろう。後者なら社長は新たなアルバイトを探すだろう。

事業が少し大きくなり、アルバイトをしていたのが社員となり、更にその下にアルバイトを雇うことになったとしよう。

その社員にモチベーションが無くなり辞めてしまったらどーなるだろうか。社長は新たな社員を採用して何とかしようと思うだろう。元々は社長がやりたい事業なのだから。

ある程度大きな会社になると、ボトムアップ事業と言うものがあり、社員がやりたいことを提案する。

提案した事業は、だいたいどこかのグループに所属させられて、そこのリーダーの元で事業の拡大を目論む。その時のリーダーはホントにそれをやりたいと思うのか?思わないのか?これでそのリーダーの資質が分かるような気がする。

提案した者がリーダーになれればホントにやりたいと思うだろうが、そうでない場合も当然ある。

うまく行くように一緒になって遂行していく姿勢があれば、それは確かにリーダーだろう。しかし上手く行くか行かないかを管理してジャッジする、とか言い出したら、それはその事業のリーダーではない。

そして、その時、更に上の社長はどう思うのだろうか。

やはり最終的にはトップがその事業に興味を持たなくなったら、やる価値を失うんだと思う。

トップにやる気があるなら、人をすげ替えてでも推進したくなるだろう。アルバイトが辞めたらまたアルバイトを探すように。

トップがやりたいと思うこと、実現させたいと思うこと、それをチームで遂行しているだけなんだ。そう、全てトップの意思なんだ。

創造によって貢献する

比較的多くの企業が表題のような社是を掲げているような気がする。

特に製造業に多いかもしれない。

いくつかの修飾する語句が付く場合があり、例えば、創造が

価値の創造、革新的な技術やサービスの創造

だったり

貢献する対象を明確にして

地域、社会、産業、経済、文化、お客様に貢献

だったりする。

アイディアを出してあるモノを創作して

世の中に貢献して行きたいと願う

基本的な考え方は、どこも同じなんだろう。

そしてそうあるべきだと思う。

で、それを腹に落とし、実践して数十年になるつもりでいた。

儲けろ、とか、持続可能じゃなきゃ駄目だ、とか言われても、

顧客がいて、自分の製品の価値を認めて頂いて、ご購入頂いている、それこそが社是を実践しているんだと思っていた。

若い時はそれで良いのかもしれない。

ひとつの製品を開発して製品化して市場で使って頂く。数個でも数十個でも買って頂いて、まぁまぁ良い製品だよ、とか顧客から言われれば、それで満足。だって創造して世の中に貢献しているんだから。少々赤字でもお客様の製品には自分の製品が欠かせないなら自分の存在意義があるはずだ。

しかし、歳を取った今、思う事は、

貢献するその大きさが重要なのかな、と。

どれだけの規模で世の中に貢献できているのか?どれだけ多くの人に対して貢献できているのか?

その大きさが今の自分には求められているんだと思う。

1個売って1人に貢献するのは、若い人達にに取って、ステップとしては必要だと思うが、成功体験を増やし、より多くの人々へ、より大きな文化や社会へ、自分自身の創造でもって幸せへ貢献する、それが社会人を長く経験している人には求められるんだ。

見方をすれば、それが利益が出るだの、損益分岐点を超えるだの、持続可能な、だとかになるのだろうが、

そこを目指しているようでは全く意識が到達していなくて、

やはり、世の中をどう変えて行くか、どれだけ幸せにしていけるか、どう貢献して行けるか、

それを追求することが、社是を実践することなんだと思う。

LGBT

最近話題のLGBT

レズ、ゲイの他に両刀使いのバイ、転換したトランスジェンダー

昔からいるが、やや異色に思われ、扱われてた部類の人達だろう。オカマやオナベはトランスジェンダーに分類されるのだろうか?

まぁいろいろな性的な志向があっても構わないが、私自身はまだ主流派の異性への関心だけだと思う。

好きになるレベルもあるが、友達として遊びに行くとか食事をするとか、そんなことであれば異性でも同性でも構わない。このレベルの範囲では私はバイかもしれない。手を握るとか口づけをするとかのレベルになると同性はあり得ない。

昔、同級生数名で飲みに行く話になった時、異性がいないなら簡単でサッサと終わらせよう、的な人がいた。彼はそのレベルでもバイ的な感覚はなく異性が良かったのだろう。

異性に興味を示す年齢も人それぞれだし、同性と安心したいのもその時々。

性と言う考え方が変わってきて、そのうち「連れション」なんて言うのも死語になるのかな。トイレは個のものであって、男子トイレ女子トイレと区別するのも異様な時代が来るのだろうか?